退職を申し出た際に「損害賠償を請求する」と会社に言われても、実際に認められるケースはごく少数です。本記事では、ほのめかしへの基本的な向き合い方と、万一に備えて記録しておくべき情報を行政書士の視点で整理します。
1.「損害賠償を請求する」と言われたときの基本スタンス
退職の場面で、上司や会社から
- 「こんな辞め方をしたら損害賠償だぞ」
- 「会社に損害を与えている。訴えることもできる」
- 「今辞めたら賠償請求の対象になるからな」
といった言葉をかけられ、不安で動けなくなる人は少なくありません。
しかしまず押さえておきたいのは、
退職を理由とする損害賠償が実際に認められるケースは非常に限定的である
という点です。
多くの場合、これらの発言は
「法律的な根拠に基づく冷静な説明」ではなく、
退職を思いとどまらせるための“脅し文句” に過ぎません。
もちろん、全てがゼロとは言い切れませんが、
日本の裁判例を見ても、労働者側へ高額の損害賠償が認められる事例は極めて稀です。
したがって最初のスタンスとしては、
- 感情的に謝り続けるのではなく
- その場で金銭的な約束を絶対にしない
- 冷静に記録を残す方向へ切り替える
ことが重要になります。
2.実際に損害賠償が認められるケースはどの程度か
一般論として、
「退職=損害賠償の対象」ということはありません。
損害賠償が問題になるのは、例えば次のようなケースです。
- 故意に会社の重要データを削除した
- 競業他社に機密情報を持ち出した
- 顧客を不正に引き抜いた
- 横領・背任行為など明らかな違法行為をした
つまり、
単に退職する・早く退職したい、というだけで
損害賠償義務を負うわけではない ということです。
民法上の「債務不履行」や「不法行為」が認められるレベルで、
具体的な損害と因果関係が必要になります。
このハードルは決して低くありません。
3.会社がよく使う「脅し文句」と法的な位置づけ
実務でよく耳にするセリフと、その整理を簡単に見ておきます。
■「急に辞めたせいで損害が出た。損害賠償だ」
→ 人員の管理・補充は会社の責任であり、
単に退職したこと自体を損害賠償の対象にするのは困難です。
■「就業規則に◯ヶ月前申告と書いてある。違反だから賠償だ」
→ 民法の原則(2週間ルール)を大きく超える制限は、
効力が否定されることが多いと言われています。
直ちに損害賠償につながるものではありません。
■「引き継ぎしないのは裏切りだ。訴える」
→ 引き継ぎは望ましいものの、
引き継ぎが不十分であること自体を金銭賠償の対象にするのは極めて困難です。
■「うちの会社を舐めるな。痛い目にあうぞ」
→ 法的な根拠を伴わない単なる威圧・脅しの可能性が高く、
むしろパワハラ的言動として問題がある側面もあります。
ポイントは、「損害賠償」という言葉だけで過度に怯えないこと。
同時に、万一に備えて「記録」を残しておくことです。
4.内容証明退職でできること・できないこと
会社から損害賠償をほのめかされた状況でも、
内容証明退職は有効な選択肢になります。
◎内容証明でできること
① 退職の意思表示と退職日の明確化
本書面をもって退職の意思を通知いたします。
退職日は本書面の到達日(または到達日から2週間後)といたします。
といった記載で、
退職意思+退職日を客観化 できます。
② 会社からの損害賠償ほのめかしの事実を簡潔に残す
なお、退職の申入れに際し、「損害賠償を請求する可能性がある」とのご発言がありましたが、
具体的な請求内容については書面にてご提示いただけますと幸いです。
といった形で、
脅し的な発言があったことをやんわりと記録に残す ことも可能です。
③ 電話連絡等を控えてもらう依頼
心身の負担が大きいため、直接のお電話はお控えいただき、
書面またはメールでのご連絡をお願いいたします。
損害賠償をちらつかせながらの執拗な電話を減らす効果が期待できます。
× 内容証明でできないこと(行政書士関与の場合)
- 会社に対して「損害賠償は違法だ」と断定すること
- 逆に会社へ損害賠償・慰謝料を請求すること
- 会社との間で「賠償しない」といった交渉・約束を代理してまとめること
これらは弁護士の業務領域であり、
行政書士は踏み込みません。
5.万一に備えて「必ず記録しておくべきこと」一覧
会社から損害賠償をほのめかされた場合、
その多くは実際に請求まで進みませんが、
「来るかもしれないが、来ても困らない状態」を作っておく ことが重要です。
最低限、次の項目は記録しておきましょう。
① 損害賠償をほのめかされた日時・場所・発言者
- ◯月◯日 ◯時頃
- 誰から言われたか(上司、役員、社長など)
- 会議室・デスク・電話など状況
② 実際に言われた言葉を可能な範囲でメモ
- 「損害賠償を請求する」
- 「弁護士に相談する」
- 「訴えてやるからな」
できるだけそのまま書くと後で役立ちます。
③ それに対して自分がどう返答したか
- はっきり断ったのか
- 何も答えられなかったのか
- その場で謝罪してしまったのか
これも後の評価に関係します。
④ 退職までの経緯(いつ・どのように申し出たか)
- 初回の退職申出日
- それに対する会社の反応
- 引き継ぎなど、自分が行った対応
⑤ 会社に与えたとされる「損害」の内容(会社側の主張)
- 「売上が落ちる」
- 「人が足りない」
- 「クレーム対応ができない」
こうした主張と、実際の業務体制とのギャップも重要です。
6.記録の残し方|スマホだけでもできる証拠保全
特別な機材は不要で、
スマホ一つあれば十分なレベルの記録が残せます。
◎メモアプリで「会話ログ」を残す
- 日付・相手・場所
- 発言の要旨
をその場〜当日中に記録しておきます。
◎メール・チャットはスクリーンショット+保存
- 社内チャット
- メール
で「損害賠償」「訴える」と書かれていれば、
それだけで強力な証拠になります。
◎録音ができればベター(無理ならメモでOK)
録音がハードル高ければ、
「録音はできないが、発言内容を即時メモした」という事実自体が一定の説得力を持ちます。
◎退職の申入れメールは必ず残す
- 送信済みフォルダ
- スクリーンショット
両方で残しておくと安心です。
7.損害賠償を本気で言ってきたときの相談窓口
もし会社が、
単なる「脅し」ではなく
具体的な請求書や内容証明を送ってきた場合は、
以下のような窓口での相談を検討します。
◎弁護士(労働問題に詳しい事務所)
- 請求に法的根拠があるか
- どの程度リスクがあるか
- 反論・交渉方針
を専門的に判断してもらうことができます。
◎労働局・労働基準監督署
- 賃金未払いなど、むしろ会社側が法令違反をしている可能性がある場合
- 行政機関経由で会社に是正を促してもらうルートもあります。
◎行政書士に相談してよい範囲
- 退職の手続き自体(内容証明による意思表示)
- 事実整理・経緯整理
- 証拠のまとめ方
など、「退職の形」を整える部分については、
行政書士に相談しておくことで、
その後の弁護士相談もスムーズになります。
8.まとめ|不安を利用した「脅し」に振り回されないために
会社から「損害賠償」という言葉を出されると、
冷静な判断が難しくなりがちです。
しかし、実務と法的な観点から整理すると、
- 退職そのものを理由とした損害賠償は極めて限定的
- 就業規則や繁忙期を理由にした「賠償」は理屈として弱い
- 多くは不安を利用した引き止めの一種
- 大切なのは「むやみに怖がること」ではなく「淡々と記録を残すこと」
という構図が見えてきます。
内容証明退職を活用すれば、
- 退職の意思表示と退職日を客観的に確定させ
- 電話などの直接のプレッシャーを減らし
- 必要に応じて弁護士・行政機関へスムーズに繋げる
という流れを作ることが可能です。
不安を煽る言葉に振り回されるのではなく、
「記録」と「正しい手続き」で自分を守る ことを意識していただければと思います。


